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2007年11月25日

奈良時代の荘園

奈良時代の荘園、どのようなものだったのでしょうか。

日本の荘園
日本の荘園は、奈良時代に律令制下で農地増加を図るために墾田私有を認めたことに始まる(初期荘園)。平安時代には、まず小規模な免税農地からなる免田寄人型荘園が発達し、その後、皇室や摂関家・大寺社など権力者へ寄進する寄進地系荘園が主流を占めた。鎌倉時代には、守護・地頭による荘園支配権の簒奪(さんだつ)が目立ち始めた。室町時代にも荘園は存続したが、中央貴族・寺社・武士・在地領主などの権利・義務が重層的かつ複雑にからむ状況が生まれる一方、自立的に発生した村落=惣村による自治が出現し、荘園は緩やかに解体への道を歩み始めた。戦国時代には戦国大名による一円支配が成立、荘園の形骸化はますます進み、最終的に羽柴秀吉の全国的な検地によって荘園は解体した。


前史
6世紀以前は、各々の豪族が土地と民衆を直接支配していた。7世紀に入ると官僚制度、地方制度、法令制度などの整備が徐々に進んでいき、7世紀末?8世紀初頭には律令制が成立した。それに伴い豪族の土地・民衆支配は否定され、中央政府による統一的な土地・民衆支配が実現した。その基盤となったのは班田収授や戸籍などの制度である。なお、日本律令制下の土地制度は、唐の均田制をもとに構築されていた。


初期荘園
奈良時代初期は、律令に基づいて中央政府による土地・民衆支配が実施されていたが、人口や財政需要の増加に伴い、722年、国家収入を増やすため政府において大規模な開墾計画が策定された。翌年(723年)には開墾推進政策の一環として三世一身法が発布され、期限付きではあるが開墾農地(墾田)の私有が認められた。しかし、期限が到来するとせっかくの墾田も収公されてしまうため開墾は下火となった。そこで政府は新たな推進策として743年に墾田永年私財法を発布した。同法は墾田の永年私有を認めるものだったため、資本を持つ中央貴族・大寺社・地方の富豪(かつての豪族層)は活発に開墾を行い、大規模な土地私有が出現することとなった。このときの大規模な私有土地を初期荘園という。初期荘園は特に畿内に集中しており、全国に満遍なく拡がっていた訳ではない。

大規模な私有土地を経営するため、現地に管理事務所・倉庫がおかれたが、これを「荘」と称した。そして「荘」の管理区域を「荘園」と呼称した(元来は中国での呼称だったが日本にもたらされたのである)。

墾田は私有することができたが輸租田であり、収穫の中から田租を納入する必要があった。また当時は直接、荘園を管理していたため、人的・経済的な負担も大きかった。これらにより初期荘園は10世紀までに衰退した。

著名な初期荘園には、越前の道守荘(東大寺領、荘園絵図が現存する)や播磨の鵤荘(法隆寺領)などがある。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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